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これ以降、韓国では中国投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれを上回っている。とくに山東省青島、遼寧省大連、吉林省延辺朝鮮族自治州には、韓国企業の投資が累積している。また中国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。
その一方で韓国民の一部は、中国の超大国化によって韓国が飲み込まれるのではとの恐怖感を感じている。将来韓国が北半部を統一した場合、中国と国境を接する可能性がある。中国人民解放軍は、現段階では軍隊の規模は韓国軍よりも大きく、その上装備の近代化を進めている。
他方で、統一後は韓国が中国に対して上位に立つとする見解もある。全体的に見て中国軍の装備は、西側先進諸国の水準にある韓国軍に劣っている。また、有事の際、韓国軍は圧倒的な継戦能力を持つアメリカ軍による物資支援を受けるため、継戦能力においても韓国軍は優勢である。また、中国の経済はバブル経済で実際の成長はそれほどではないとの見方がある。
近年、旧間島問題とも関連して、高句麗が韓民族国家か中国の地方少数民族政権かという歴史論争が、韓国と中国の間で起きている。
近年、韓国の経済発展によって貿易総額が拡大、主要貿易相手国として中国が浮上している。輸出総額では、日本は中国、米国に次ぐ3位になり、日本の比重はやや低下している。輸出品でIT関連製品の占める割合が増大し、貿易は黒字基調が定着、IMF管理下に置かれた反省から外貨保有高は2000億ドルを超えている。
WTO香港ラウンドに於いて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。
2005年に中国産キムチより寄生虫の卵が発見された。韓国産キムチからも寄生虫の卵が発見され、韓国と中国の間で問題となっている。
同年11月、端午の節句が「江陵端午祭」としてユネスコに選定され、中国政府関係者が苦言を呈するなど、歴史、文化的な衝突もある。
ソ連・ロシアとの関係
この項目については、ソビエト連邦の外交関係も参照の事。
1945年の第二次世界大戦終結で、朝鮮半島は北緯38度線を完全な境界線として米軍の南部とソ連軍(赤軍)の北部に分断占領された。1948年にアメリカ主導の南北統一総選挙が国連で決議されたが、北部を軍政統治するソビエト連邦が拒否し、南北分断が確定した。同年8月15日には南部単独で大韓民国が成立、追って9月9日には赤軍の士官として朝鮮半島に帰還した金日成を指導者とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が北部のみで成立したため、韓国は建国当初からソ連と敵対関係になった。
ソ連は朝鮮半島北部で朝鮮労働党の指導による社会主義国家の建設に成功し、朝鮮戦争では北朝鮮軍の南侵を支持したが、国連の安全保障理事会における欠席戦術を逆手に取られてアメリカを中心とした国連軍の編成と介入を許し、朝鮮半島全域への勢力拡大は失敗した。この際、ソ連軍は直接介入を控えたものの、軍事顧問団の派遣や兵器の供給で北朝鮮や中国の軍事作戦を支えた。その後のベトナム戦争では、アメリカの要請に応じてベトナムに出兵した韓国軍が北ベトナムを通じてソ連の支援を受ける南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と激しい戦闘を行った。この東西冷戦の激しい時期では韓国とソ連の関係は絶たれていた。歴代の韓国の政権は反共主義を唱え、北朝鮮の背後にいるソ連や中国を強く警戒していた。金日成の個人独裁が強化された北朝鮮で親ソ派が一掃されても、ソ連は北朝鮮を朝鮮半島唯一の正統政権と認め、韓国とは全く外交交渉を行わなかった。
1981年、ソウルが1988年のソウルオリンピック開催都市に決まると、韓国はホスト国としてソ連を含む全ての国を安全に招待する義務を負った。しかし全斗煥政権は対ソ強硬姿勢と国内の民主化運動弾圧を継続し、1983年9月1日には大韓航空の旅客機がソ連領空を侵犯した後に撃墜された大韓航空機撃墜事件も発生して、両国間の関係は全く改善されなかった。
これが変化したのは、1985年に登場したソ連のミハイル・ゴルバチョフ政権が新思考外交による冷戦の緩和を訴えた以降である。韓国も1987年に成立した盧泰愚政権が民主化を進めつつソ連や中国との緊張緩和を目指す北方外交を提唱した結果、ソウルオリンピックはソ連や東欧諸国の参加を得て無事に開催された。この際に両国の接触が本格的に開始され、首脳会談を経て、1990年9月30日に韓国とソ連は国交を樹立した。1991年にはゴルバチョフが初訪韓(済州島を訪問)し、同年に韓国は北朝鮮と同時に国連加盟を果たした。また、第二次大戦後に旧日本領の南樺太(その後ソ連がサハリン州に編入)に取り残され、無国籍状態やソ連国籍になっていた残留朝鮮人の韓国訪問・帰還事業や、第二次大戦前にスターリンによって極東の沿海地方から中央アジアへ民族全員が強制移住させられたソ連国籍の朝鮮人(高麗人と称される)との交流が開始された。
1991年12月にソ連が崩壊してロシア連邦やその他の共和国が完全な独立国家として成立しても、韓国側からの積極的なアプローチは続いた。現代自動車はロシアの外国自動車市場で最大のメーカーとなり、LG電子も家電市場で3割のシェアを獲得したと伝えられている(ジェトロレポートより、[1])。巨大財閥以外の韓国企業もロシアに進出し、ウラジオストクを重要な拠点としてシベリア開発にも関与している。ロシアは社会主義体制を放棄した現在でも北朝鮮との友好関係を維持している事から、北朝鮮の核開発問題をめぐる六者会合への参加国に含まれている。
また、中央アジアで新たに独立したカザフスタンやウズベキスタンにも韓国企業が進出している。両国には韓国からの直行便が就航し、高麗人への韓国語教育の支援などを含めた関係強化が進められている。
その他
2004年に、過去において韓国がウラン濃縮など核開発に結びつく研究を行っていた事実が公表され、IAEAの査察を受けている。
2005年には、同国の放射性アイソトープ販売企業であるキョンド洋行が、イラン企業のパトリス社に放射能物質であるニッケル63を売ったほか、フランスからは別の放射能物質である三重水素(トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが、報道された。
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